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「旅の指さし会話帳」で活躍するイラストレーター・北島志織さんの野望、それは“画家”になること!
ついに2007年3月下旬からスタートしたニューヨーク生活。アーティストとして、新米ニューヨーカーとして、日々のなかでの発見や感じたこと、活動の様子を綴ります。【毎週月曜日更新予定】

配信 : 情報センター出版局 http://www.4jc.co.jp/
「旅の指さし会話帳」公式サイト http://www.yubisashi.com/
第6回 エゴン・シーレとの再会
かの有名なグスタフ・クリムトと並ぶウィーンの画家、エゴン・シーレ。
1980年にオーストリアのウィーン近郊トゥルンで生まれ、20代からその豊かな才能を開花させた。
しかし早熟な天才の宿命か、スペイン風邪により28才の若さで死去。短い生涯でありながら、数多くの作品を残した、日本でも人気の高い画家の1人だ。
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初めてシーレの絵に出会ったのは高校生の頃、本屋さんの画集コーナーだったと思う。
大胆な構図と色、人物の形に惹かれ、おこずかいをはたいて画集を購入。美術館でシーレの実物が見られる機会があれば何度も足を運んだし、画集を見ながら模写をしたこともあった。
物の形をとらえる力:クロッキー力がずばぬけて高く、人物の形がとにかくかっこいい。
作品には少女の裸体や自慰風景などの性的なチーフも多く、当時の時代性もあってか、“未成年を裸にした罪”で拘留されたこともあったとか。法廷でデッサンを燃やされたというエピソードは、彼の伝記映画のワンシーンでも登場している。
彼の作品や人生の出来事のいくつかは知っているけれど、発言や文章を一切読んだことがないので、人となりや絵にまつわる情熱や信念みたいなものはわからない。
でも私にとって、シーレに関する情報は作品だけで十分なのだ。
あんなかっこいい作品を見れば、それで十分。
彼のような画家の作品を見るたび、うれしいような悔しいような、何とも複雑な気分になる。
「こんな画家になりたい」というのとはちょっと違うのだけど……。「私ももっとかっこいい絵を描きたい」という感じが近いかも。とにかくやる気が出るのだ。高校時代も今も、それは変わらずにある印象だ。

10代の頃、特に影響を受けた画家のひとり、エゴン・シーレ。
社会に出てからの数年間は画集を眺める機会もなくなっていたのだけど、それでも捨てずに、引越しの度に重い画集を運んで大切に持っていた。

そんなシーレのお膝元、ウィーンのギャラリーから思いがけないメールをもらったのは、アートブック第2段の企画に追われる26才の時だった。
「個展をしてみないか」という一文にびっくり。
何しろそれまでの私は「個展」アレルギーだったのだから。
アレルギーというのは少し大げさだけど、「個展はアカデミックである」という妙な思い込みと「個展をするのはアーティストであってイラストレーターではない」というコンプレックスのような気持ちが合わさって、敬遠していたと言ってもいいかもしれない。
今にして思えば、これには「受験に失敗した」という挫折感が関係してると思う。大学にも入れなかった私がアーティストを名乗れるわけがないよ、どーせ、というような。
しかし、それも裏返せば「アーティストとして個展をしてみたい」という願望につながるわけで、実際私はそのメールをもらって、とてもとても嬉しかったのだ。
しかもあのシーレの街で初めての個展ができるなんて!
考えるよりも先に、私の指は「是非やらせて下さい」と返事を打ちはじめていた。

日本のレンタルギャラリーのシステムと違い、欧米にある多くのギャラリーにはキュレーターがいる。
キュレーターがアーティストに展示を依頼し、費用は「プロモート費」として広告代や印刷物の経費の一部をアーティストに請求するところが多いようだ。
しかしこのウィーンのギャラリーは、それもない。作品が売れた場合の手数料のみで運営されている。しかもありがたいことに、展示期間中はオーナー宅の客間に滞在していい、とまで言ってくれた。
それまでの個展アレルギーはどこへやら。すっかりアーティスト気分で、浮かれて作品作りを始めた。

しかし、全然うまくいかない。
画材をたくさん買い込み、試しに作ってみては失敗。
もう一度やってみて、また失敗。
元々本番に弱い私は、突然の話に完全に浮き足立ってしまったのだ。
あれ?個展って、一体どうやるんだろう?
それまで参加したり企画したグループ展やイベントでの展示を思い返してみる。それらはあくまでも「発表」が目的であって、展示している作品を販売することは今まで考えたことがなかった。作品点数も今まで描いたことがないくらいたくさん必要だし。
……どうしよう、間に合わない。
焦りはマックス、そしてますます緊張し、今描いている絵がいいのか悪いのかすらわからなくなった。
ちなみにこの混乱は、今では展示の前のお約束になっている。さすがにもう慣れてきたので、自分なりの解決の仕方もわかってきたけど、この時は初めてのことで本当に慌てたもんです。

結局、ギリギリのところで助けてくれたのは、「企画」だった。
表現したいことをノートに何度も何度も書いて、コンセプトを絞り込み、今までの「みんなの表現の場のための企画」とは違う「自分のための企画」を作った。
両立しないと思っていた「絵」と「企画」が、こうすることでなんとなくすんなり共存するのだ。
そうするとだんだんと作品の内容や展示の方法、空間の使い方のことも考えられるようになってきた。手探り状態だったものの、やっと作業が進むようになった。その後はひたすら絵を描き、額を作り、展示に必要な小物を用意して、ギリギリセーフで飛行機に乗りウィーンへ。
到着後、作品を吊るして、壁にも絵を描き、何が何だか分からないまま、初めての個展がスタートした。

オープニングパーティーには、たくさんの人が来てくれた。
緊張のあまりギクシャクしてるし英語はカタコトだけど、考え抜いた「企画」のおかげで作品やコンセプトに関する質問にはかろうじて答えることができた。
自分の作品にとって、企画とかコンセプトを考えるプロセスがとても重要なんだなぁと実感したのでした。

個展が無事始まると、急にやることがなくなった。
気の抜けた状態で向かったのが世界最大のシーレのコレクションで知られる「レオポルド美術館」。
会いたかったよシーレ! なんて言いながら、気軽なテンションで足を踏み入れたのだけど……。

何度も繰り返し画集で眺めた作品の数々。あの頃と大きく違うのは、
それは私の年齢が、彼がその作品を描いた時の年齢と同じ、もしくは越えてしまっていたことだった。
当時は考えもしなかったシーレの葛藤や迷いが、今なら少しわかるような気がした。
そして、改めて上手さとすごさを実感せずにはいられなかった。
3時間以上も夢中で眺めながら思った。
「もしかしたら、私にもできるかも」
シーレの絵を、遠い世界の憧れのヒーローとして見ていた時代とは、何かがビミョウに、しかしはっきり違うのだ。

初めての個展。人に見てもらうということ。
もしかして、「個展が嫌い」なんじゃなくて、ただ怖がっていただけなのかもしれない。初めての個展に無我夢中になっているうちに、ほんの少しずつ意識が変わってきていた。
シーレの自画像の大きな鋭い目を見ながら思った。
やっぱり、画家になりたいなぁ。
by webmag-d | 2007-01-11 20:06 | エゴン・シーレとの再会