沖縄でのフリーイラストレーター生活。それはまさに夢見ていた沖縄ライフだった。
朝10時頃、窓から差し込む強い日差しで自然に目を覚まし、クーラーをつけてシャワーを浴びる。沖縄は食材も安いので、好きなものを作ってゆっくり食べる。ゴーヤーチャンプルーやタコライスといった沖縄料理も上手になった。
打ち合わせや納品で出かける時は原付バイクで風をきる。明日は天気がいいから休みにしようかな、と気軽に穴場ビーチでシュノーケリング。これぞ楽園。
もちろん貧乏生活で、徹夜で仕事をすることだって多かったけれど、全部を自分で決められるっていうことがマイペースな私にはぴったりだったのだ。
しかしここからの生活を語るのに、避けては通れないことがある。
突然ですが私、現在バツイチです。
沖縄移住を思いつくよりもっと前の、予備校で芸大を目指していた19才の時に、3才年上の彼と知り合った。彼は東京、宮城、大阪と引越しを繰り返していたので、遠距離恋愛が1年以上も続いた。その後、彼が働いていた大阪から沖縄にやってきてからは、ずっと一緒に暮らし、私が社会に出て行く一部始終を一番近くで見守っていてくれた。
彼は沖縄で理容師の仕事をしながら、漫画家を目指して独学で絵を描き続けていた。私が会社を辞めてフリーになることも応援してくれていたし、生活は貧乏ながらもとてもうまくいっていた。
そして22才、フリーになって1年が過ぎ、仕事が順調に入ってくるようになってきた頃のこと。とある沖縄映画についての書籍の表紙に使われていた私のイラストが東京のデザイナーさんの目にとまり、月刊誌の表紙の仕事が決まったのだ!!
初めての東京からのレギュラー仕事。その日は嬉しくて嬉しくて2人で朝まで眠れなかった。
それによって他の仕事もどんどん増えて、生活は一変した。
広くて新しい部屋に引越し、中古車を買い、彼専用のmacも導入。
楽園生活は、ますます楽園になった。
同棲して2年以上。当然親からは入籍を急かされ、若い私たちは深く考えもせずに結婚を決めた。
ちょうどその頃、彼が私と一緒にイラストレーターをやりたいと言い出したのだ。私はそれも深く考えずに快諾。彼はあっという間に理容師の仕事を辞めてきた。

それからの日々を書くのは少し勇気がいるけど、簡単に言えば彼は絵を描かなくなり、私はそんな彼が許せなかったのだ。結婚生活は1年で終わりを迎え、私は逃げるように東京に戻ることを決めた。
今になって彼の立場を考えれば、うまく仕事がこなせない焦燥感、パートナーである私への反発、そんな私のお金で生活をしていることへの悔しさ、色々なストレスがあっただろうと思う。そして、その頃の私はといえば、彼がまた絵を描き始めるのを待つことができるような大人ではなかった。
私が彼を沖縄に置いて東京に戻る前夜、2人で吉野家に行って牛丼を食べた。お互い色々なことに疲れきってしまっていて、これからのことや思い出話なんかはひとつも出ず、どうでもいいような世間話をして朝まで過ごした。そして空港に向かう車の中で、私は「もう結婚はしないと思う」と言い、彼は「もう絵は描かないと思う」と言った。
こうして私の沖縄生活は終わった。
悲しいとか寂しいとかというよりも、終わってホッとしたというのが正直な感想だった。状況に流されて何も考えずにしてしまった数々のことを思い出して落ち込んだりもしたけど、離婚までの1年が私を大人にしてくれたのは間違いないことだった。おかげで少しだけ慎重になれたし、生き方っていうものを考えることができるようになった。
3年半ぶりに東京下町に戻って来た私は、実家から原付バイクで15分の静かな神社の隣に部屋を借りた。元々立ち直りは早いぶん、あっという間に元気になって、友達もできたし営業も精力的に動いた。
そして何より、変わったことがひとつ。仕事以外で時々絵を描くようになったのだ。
一人暮らしで時間に余裕ができたせいかもしれないし、ぼんやりと描きたいことが見えてきたのかもしれないし、特に理由はないのかも。
とにかくなんとなく、筆を手に取る機会がでてきた。仕事の息抜きのような、落書きに近いようなものだったけど、イラストレーターになって3年目24才にしてやっと、求められる絵ではなく自分の描きたい絵を考え始めた。
ちょっと遅い気もするけど、これが「絵かきさん」に向けた次の季節への序章だったのだ。